丘 を 越え て ゆ こう よ。 ピクニック 丘を越え行こうよ 歌詞とルーツ

丘を越えて

丘 を 越え て ゆ こう よ

作詞:菊田一夫、作曲:万城目 正、唄:美空ひばり 1 山の牧場 (まきば)の 夕暮れに 雁 (かり)が飛んでる ただ一羽 私もひとり ただひとり 馬 (アオ)の背中に 眼をさまし イヤッホー イヤッホー 2 お花畑の まひるどき 百舌 (もず)が鳴いてる 雲の上 私はひとり ただひとり 遠い都を 思い出し イヤッホー イヤッホー 3 山の湖 白樺の 影が揺らめく 静けさよ 私はひとり ただひとり 恋しい人の 名を呼んで イヤッホー イヤッホー 4 山の牧場の 星の夜 風に揺れてる 灯 (ともしび)は 私と同じ ただひとり 泣けば 悲しい山彦が イヤッホー イヤッホー 《蛇足》 昭和26年(1951) の松竹映画『あの丘越えて』(瑞穂春海監督) の主題歌。 汚れを知らぬ野性の少女(美空ひばり) と素朴な青年(鶴田浩二) が綴る愛と涙の高原物語。 (二木紘三) 先日来、身の回りの不要なものを処分しようと重い腰を上げたところでしたが、出てきました!出てきました! 何と!私が小学5年生(昭和26年)頃の地元新聞での映画広告での「あの丘超えて」の新聞切り抜きが出てきました。 それにはビックリ・・・というのは、子どものころから映画・音楽会・演劇など何か観に行ったり聴きに行ったものについては、必ずと言ってほど入場券の半券・チラシ・パンフレットなどを集め、適当な紙箱に収納しておりました。 現在残っているのは、何故か、この「あの丘超えて」の新聞広告1枚だけが残っています。 その新聞記事の内容では、 「あの丘超えて」の表題の上に鶴田浩二・美空ひばりが寄り添っての顔写真、それを囲むように、 「人気絶頂!唄いまくる! 美空ひばり・鶴田浩二!」 全映画フアン待望の顔合わせ成る! 白樺の高原にこだまする愛と涙と笑いの溢れる哀愁の純愛巨編! 十一月一日松竹系一斉封切・・・ ほんとに懐かしいですね! 現在では、先ず見かけることはないでしょう! 今振り返ってみれば、当時のことが懐かしく想い出されます。 映画の中では、当時、鶴田浩二が27歳・美空ひばりが14歳の時で、鶴田浩二扮する大助(大学生で万里子の家庭教師)と美空ひばりが扮する万里子(勉強どころか各所で主題歌等を唄いまくる)の二人が馬に同乗・・・白樺の高原を颯爽と駆け抜けるシーンでは、主題歌とともにこの映画での印象に残る最大のシーンのように思えます。 それにしても、いつも思うのですが、二木先生のその曲にマッチしたアレンジと見事な演奏に感服の至りです。 ありがとうございます。 これからも心に染み入る曲を心待ちにいたしております。 投稿: 一章 2017年11月 5日 日 21時41分 今でも青春 さま 早速の私のコメント、心に留めていただき恐縮です。 「今でも青春」さまのグラウンドゴルフでのユーモアたっぷりのコメント・・・バックスクリーン(あの丘)越えてのホームラン!だと思います。 ありがとうございました。 以前から、「今でも青春」さまのコメントを拝読いたしておりますが、私も、コメントを書きたい気持ちは充分にありますが、先輩諸氏のコメントを拝読いたしておりますと、抒情性豊かな深みのある内容に近づけそうもないようですが、「うた物語」に集う仲間の皆さんの後押しを受けながら書き続けたいと思います。 「今でも青春」さま、お互いに頑張りましょう! ありがとうございました。 投稿: 一章 2017年11月 6日 月 20時00分 就学前に、父親の肩車で近くの映画館によく連れて行ってもらいました。 上映前や終映後、館内では色んな流行歌が流れていましたが、中でも記憶に強く残ったのが『黒百合の歌』とこの『あの丘越えて』でした。 歌詞は殆ど解らずとも、覚えやすいメロディが、幼い私を強く惹きつけたのでしょう。 今でもこの二曲のイントロを聴くと、身体に電気が走るような気持ちになり、その頃の映画館の様子が浮かんできます。 昨日の『NHKのど自慢』で、80歳の女性が『あの丘越えて』を唄いました。 年齢を多少加味しての合格評価もあったかも知れませんが、文句無しの鐘3つだったと私は思っています。 投稿: かせい 2018年12月10日 月 10時17分 コロナさえなければ、間違いなく愛車を駆って 好きな能勢路~丹波篠山辺りまで里山散策に出かけたであろうと思わせるような今日の好天気です。 大好きな「高原の旅愁」「丘は花ざかり」と、リクエストして頂き、越村さん・権兵衛さん・yasushiさん ありがとうございます。 何度も何度も 口遊みました。 そしてあの壮大な信州の山並みやいろんな人達との触れ合いを思い起こしながら、30年前の懐かしい思い出に浸っています。 八ヶ岳南麓 甲斐大泉の友人のペンションの近くにオープンしたばかりの八ヶ岳倶楽部で、オーナーの柳生博さんとお近づきになり、私のかみさんのことを市原悦子さんかと思った?などと、大笑いしながら話したり、当時アンノン族で賑わった清里や清泉寮のソフトクリームの美味しかったこと、道祖神、美術館めぐりをした安曇野からの北アルプスの眺望やアルプスの雪解け水を湛えた梓川の清流や白樺林・・・そんな風景を思い巡らせながら、思わずヤッホー!コロナなんか飛んで行け!!と叫んでみたくなります。 コロナが飛んでいった後の あの山の向こうには、きっと幸せが待っている・・・三代目三遊亭圓歌の《山のあな~あな~》を聞くと幸せな気分になります。 投稿: あこがれ 2020年4月25日 土 16時25分 美空ひばりさんと同い年生まれということもあり、私は、高校生くらいまで、彼女の新しい歌が出るたびに、フォローして憶えたものです。 「丘を越えて」も、それらの歌の一つです。 その当時、鶴田浩二さんと共演の映画ができたことは知っていましたが、町の映画館まで出向いて、鑑賞するほどの余裕は、我が家にはありませんでした。 4年前の夏に、初訪問しました上高地の風景が思い出されます。 あこがれ様も触れておられますように、新型コロナ禍で、不要・不急の外出の自粛が叫ばれている昨今です。 果たして、この夏頃には、上高地などの信州の山岳風景を楽しむような、県外遠出が許されるほど、新型コロナ禍が沈静化しているだろうかと、気がかりですね。 投稿: yasushi 2020年4月26日 日 13時53分.

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丘を越えて

丘 を 越え て ゆ こう よ

歌碑(浅間牧場) 元は、古賀政男が「 ピクニック」というタイトルでの合奏曲として作曲したもので 、この曲にのが詞をつけた歌が「 丘を越えて」である。 島田芳文は、の浅間の風景を描いて詞を書き上げた。 浅間牧場には「丘を越えて」のもある。 「ピクニック」は、の名所として知られた(現:)のとの自然風景に着想を得て作曲されたもので 、2019年5月25日にが川崎市との間で延伸された際には、稲田堤の上河原取水口(多摩区布田)に「ピクニック橋」が開通している。 古賀政男がマンドリン倶楽部の後輩と稲田堤へに行った際、満開に咲き誇る桜を背に酒を酌み交わし、下宿に戻ると学帽についた一枚の桜の花びらにふと気がついた。 これを見て二度と帰らぬ若さと青春がいとおしくなった。 そのとき浮かんだメロディーを愛用のを取り弾いてみた。 面白いようにメロディーが次から次へと浮かんだ。 この曲にちなみ、の店「菓聖はしば」ではとして「丘を越えて」が販売されている。 なお同店では多摩区の内にあるにちなむ「TAROの夢」も取り扱っている。 また、の「」の「丘を越えてルート」(・ルート)は、古賀政男が自邸を構えた渋谷区上原のを経由することから命名された。 詳細は「」を参照 音源 [ ] オリジナル [ ] 歌唱を担当した藤山一郎は、豊かな声量と正確無比な確実な歌唱で、古賀政男の青春を高らかに歌い上げている。 上述のとおり元はマンドリン合奏曲として作曲された曲であるため、のマンドリンによる前奏が長く、さらに間奏は新たなの後に再び前奏を繰り返すので、伴奏の演奏だけの時間より藤山一郎が歌っている時間の方が短い。 また ステレオ録音版 [ ]ではさらに伴奏が長くなっている。 カバー [ ]• 、が本曲をしている(『』に収録)。 、「」ので藤山のオリジナルが使われていた。 CMの一部では前奏のみもある。 、『』としてがカバーした。 、トヨタ自動車の代表車種「」、「」のとして、以下のアーティストによるカバーバージョンが使用されている。 フィールダー、アクシオ)、• (フィールダーのみ)• (フィールダーのみ)• (フィールダーのみ)• (フィールダーのみ)• (フィールダーのみ)• (フィールダーのみ)• (フィールダー、アクシオ)• (アクシオのみ) なお、がに「」という曲をリリースしているが、タイトルが同じだけの全く別の楽曲である。 脚注 [ ] []• 信州Style、2019年11月21日閲覧。 川崎市公式サイト、2010年6月1日、2019年11月21日閲覧。 稲田堤駅~読売ランド前駅の「多摩自然遊歩道」が「昭和初期の流行歌『丘を越えて』の舞台となった多摩丘陵の豊かな自然が観察できる」と紹介されている。 、2019年5月18日、2019年11月21日閲覧。 稲城市公式サイト、2019年5月30日更新、2019年11月21日閲覧。 川崎市観光情報発信サイト「川崎日和り」川崎市観光協会、2019年11月21日閲覧。 「多摩区みどころガイド」川崎市多摩区観光協会、2019年11月21日閲覧。 2009年7月10日時点の [ ]よりアーカイブ。 2009年7月30日閲覧。 2009年7月6日時点の [ ]よりアーカイブ。 2009年7月30日閲覧。 「多摩区みどころガイド」川崎市多摩区観光協会、2019年11月21日閲覧。 関連項目 [ ]•

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丘を越えてとは

丘 を 越え て ゆ こう よ

丘を越えて 歌詞の意味 古賀政男が後輩との花見で作曲したマンドリン合奏曲に作詞 「丘を越えて行こうよ」が歌いだしの『丘を越えて』(おかをこえて)は、1931年(昭和6年)の映画「姉」主題歌として発表された昭和初期の歌謡曲。 歌:藤山一郎。 同曲は、作曲家の古賀政男が明治大学マンドリン倶楽部の後輩と稲田堤(現川崎市多摩区)で花見(桜見物)をした際に、マンドリン合奏曲『ピクニック』として作曲された。 つまり当時は歌詞の無いインストゥルメンタル(器楽曲)だったが、後に映画主題歌として作詞者の島田芳文により歌詞が追加された。 作詞のイメージは、北軽井沢の浅間牧場の風景がモデルになっているという。 浅間牧場には『丘を越えて』の歌碑も建てられている。 歌詞の意味 『丘を越えて』の歌詞について、若干補足してみたい。 「真澄の空」(ますみのそら)とは、非常によく澄んた空のこと。 「血潮」(ちしお)とは、激しい情熱や感情のたとえ。 「小春」(こはる)とは、初冬の穏やかで暖かい春に似た日和が続くころ。 また、陰暦10月の異称。 童謡『ピクニック』との関係は? マンドリン合奏曲『ピクニック』を原曲とする歌謡曲『丘を越えて』だが、「ピクニック」と「丘を越え」という二つのキーワードを耳にすると、当サイトの筆者としては、童謡『ピクニック』を思い出さずにはいられない。 で、原曲はイギリスまたはアメリカの童謡『She'll be Coming Round The Mountainとされている。 NHK「みんなのうた」で1962年4月に初回放送されており、作詞は萩原英一とクレジットされている。 萩原氏が「みんなのうた」向けに作詞を行う際、人気の歌謡曲『丘を越えて』にあやかって似たような表現を用いたのだろう。 『ピクニック』の「空は澄み 青空」の部分も、『丘を越えて』の「真澄の空」と対応しており、ある意味『丘を越えて』のオマージュ的童謡と言えるかもしれない。

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