とんねるず 志村けん。 欽ちゃんと、ダウンタウンと、志村けんと、とんねるず: GOOD LUCK ラヂオ

志村けんvsとんねるず 卓球対決

とんねるず 志村けん

概要 [ ] をモデルにした小学生・志村ケン太と、それを取り巻く仲間たちの愉快痛快なお話。 登場人物はケン太をはじめ芸能人を中心に、スポーツ選手(等)や政治家()等をモチーフとしており、当時の芸能ネタの他、CM・ゲーム・アニメ等の時事ネタのパロディが多いがあくまで(モチーフとなった芸能人に)そっくりの赤の他人という扱いである。 コロコロコミックでの第1回掲載の段階では『元気いっぱい! シムラくん』というタイトルだったが、第2回以降はタイトルが変更され、単行本化の際も変更後のもので統一された。 登場人物 [ ] ()内はモデルとなった人物。 志村家 [ ] 志村ケン太 主人公の、志村けんにそっくりな小学5年生。 性格もおバカでスケベでイタズラ好きと、志村けんがコントで演じるキャラクター像そのもの。 排便に時間が掛り、時にドデカいを出している。 おバカな行動が目立つが、友情に厚い一面も併せ持つ。 彼が通う志村小学校は小学校でありながら何故か進級試験があり、2度落ちて最終回までに3度小学5年生をやったが年を取っている描写はない。 志村ケン作 ケン太の父。 お笑い警察署所属の。 比較的常識人。 志村ヨウ子() ケン太の母。 常識人。 志村花子 ケン太の妹。 幼稚園児。 志村タネ ケン太の祖母。 モデルは志村けんのコントキャラの「ひとみばあさん」。 ボケ丸 志村家のペットの犬。 人語を喋る。 「ボケ丸」と名付けられているが主人のケン太とは正反対で、賢い。 志村ケンベエ 志村家の祖父。 志村家の先祖・親戚たち [ ] バカ殿 腰元の典子() 剣豪ケンちゃん 変なおじさん 元祖ケンちゃん アホ星人 クラスメイト [ ] みんなケン太と仲良し。 特に加藤茶太郎とは親友。 加藤茶太郎() ケン太の一番の親友。 ケン太と同じくおバカでスケベだが、彼と比べるとやや気弱でお人好し。 実家は喫茶店を経営。 父親のモデルは、ハゲに眼鏡のコントのキャラ。 内村良光() 電気屋の大金持ちで、キザでマザコン。 父親はがモデル。 南原隆清() 貧乏でいつもジャージ姿。 顔がそっくりな妹がいる。 松っちゃん() 「うそよね〜ん」が口癖のボケ担当で、ケン太を超えるイタズラ好き。 ケン太同様留年している。 浜ちゃん() ハリセンによる激しいツッコミが得意なツッコミ担当。 ケン太同様留年している。 実家はたこ焼き屋。 父はぢゃーりー浜。 牧野リホ() リエが進級して、メインヒロインになる。 宮坂リエ() 学園のアイドル。 ヒカル() ヒロコ() エリコ() イノギ漢字() プロレス部所属・クラス委員長。 南野タゲシ() ケン太のライバル。 ・・らしき手下「タゲシ軍団」を引き連れている。 田原ドジ彦() 外山ミホと恋仲。 外山ミホ() 田原ドジ彦と恋仲。 ガッキー池田() チアガール部キャプテン。 おねえ言葉で喋る。 ウインク姉妹() 三河屋憲一() コロッケ() 三河屋憲一の親戚。 外山ミホ・田原ドジ彦が茶太郎の喫茶店にコロッケ定食を注文するが、ケン太が持ってきたのはコロッケ本人。 梨本マサル() 木梨ノリ平() プロレス大会等ではのコスプレをしている。 ビシバシ貴明() 野球部のキャプテン。 プロレス大会では野球ボールの着ぐるみを着ていた。 四駆動シズカ() 赤石家イワシ() 上岡竜() 大阪の天才小学校からの転校生。 頭が良い。 嫉妬したケン太に宮坂リエとのデートを妨害される。 ジミーちゃん() ケン太同様成績は悪いが、通信簿がオール1のケン太と違い、一教科だけ2だった。 それを見たケン太が心の中で「おれよりいいじゃねえか…。 」と思いながらも「まっ、めそめそせずにがんばれよ! 」と慰めると、モデルのジミー大西のギャグ「おまえもがんばれよ!! 」で逆に慰め返された。 吉田A作() イケメンで、学芸会の「白雪姫」の王子役になるが、ケン太に妨害されてしまう(白雪姫役はリエ、王様役はイノギ、魔法使い役はケン太)。 てつこ() 学芸会「白雪姫」のナレーター。 服に『てつこ』と書かれている。 高木ぶー() おならをする部活「高木部」に所属。 ドリフの雷様の格好をしている。 教員 [ ] おこりや長介() 最初は担任だったが後に校長に昇格した。 校長室の机の中にエロ本を隠している。 妻と子供二人も同じ顔である。 ホナミ先生() 校長になったおこりや先生の後釜として、ケン太の担任になった女教師。 ケン太に何かと意地悪を受ける。 山々田クニ子() 生徒指導教諭。 規則には厳しい。 元ネタの人物同様、丸坊主になってしまう。 その他 [ ] デブ・スペクター() 志村家にホームステイするアメリカ人の男の子。 名前の通り腹が出ていて太っている。 流暢に日本語を話せる。 日本通で、プールでは海水パンツではなく、ふんどしを着用している。 また、を習っている。 マトバ() 不良で空手十段。 ケン太がプールに飛び込んだ際に、反動で跳ね返ってきた飛び板にぶつかり、負けてしまう。 汗体臭() こどもトライアスロン大会でのケン太のライバルで、前年度の優勝者である。 外見はイケメンだが、名前の通り汗臭い。 何かとケン太を妨害する。 ゴール前で下品な喧嘩(ケン太が自分の大便に花火を近づけて花火の勢いで大便を飛ばす(うんち爆弾)。 汗が履いていた短パンをケン太の顔に被せる等)をして優勝を連覇を逃す。 ちなみに優勝者は宮坂エリ。 ぢゃーりー浜() 浜田の父親。 たこ焼屋「たこやき吉本」を営む。 「~じゃあーりませんか」が口癖。 ホナミ先生が「さんに出題してもらいます」と言ったが、出てきたのはぢゃーりー浜だった。 ガオー() アラビアの王様。 元ネタは当時ののブラウン管カラーテレビ「」のCMから。 長老() ガオーが治める国のとある村の長老で、盗賊団に誘拐されたエリ姫を助けに行くと言った村の勇気ある少年(キャラは加藤茶太郎と同じ)に、おまじないをするとランプの精(ケン太)が出て来るランプを授けた。 ルー・オオシバン() ガオーの娘のリエ姫を誘拐した盗賊団の首領。 最終的にはランプの精が出した金の卵を産むニワトリと姫を交換、卵を沢山産ませようと餌を沢山与えたが巨大化してしまい、逆に食べられてしまった。 ・・・がモデルの手下がいる。 ルー・小柴() 動物プロダクションの社長。 ケン太を動物タレントとしてスカウト。 岡間トオル() 山々田クニ子のお見合い相手として登場する。 名字の通りで、最終的には付添だったケン太に惚れてしまい、お見合いは失敗に終わった。 ヘアーサロン江口のオーナー() お見合いが決まった山々田クニ子がカットに行った美容室のオーナー。 一コマだけだが、らしきアシスタントが出ている。 強盗犯() 前科10犯の強盗犯。 おわらい銀行に立て籠り、女性行員を人質にする。 ケン作が行員に代わって人質になろうとするとケン太の方が良いと言ってケン太を人質に逃走用車を走らせるも、ケン太がボケ丸と共にオナラをかまして飛び降り、その臭さで運転不能になり、壁に激突した衝撃で飛び出した所をケン作によって逮捕される。 ヤクザ() 「カトちゃんラーメン」にやって来て「儲けた金、少しよこさんかい!! 」と売上金を脅し取ろうとしたが、ケンちゃんロボが撃退する。 オジアイ() 志村小学校と野球の試合をした、プロ野球小学校の主砲。 ケン太自体をホームランにしてしまう。 キヨバラ() 志村小学校と野球の試合をした、プロ野球小学校の三番。 リモコンの付いたボールでホームランを無効にされる。 パンチ() 志村小学校と野球の試合をした、プロ野球小学校の一番。 パンチパーマで演歌を歌う。 ワカダベ() 志村小学校と野球の試合をした、プロ野球小学校のエース。 アギヤマ() 志村小学校と野球の試合をした、プロ野球小学校のセンター。 アリサを一塁でアウトにするが、ケン太はオジアイとアリサに野球拳をさせる。 ナガジマ() 志村小学校と野球の試合をした、プロ野球小学校の二番。 ケン太の作った野球盤でアウトになる。 くにおくんらしきモブ(当時同じくコロコロに連載された) 志村小学校とプロ野球小学校の試合の際に、観客席でキヨバラのホームランボールを取ろうとした。 TARAKOらしき女の子() 松ちゃんが鱈子スパゲッティーと声優のを掛けたギャグで登場。 「あたしゃ嫌だよ~」と言いながらの台本を持っている。 カンペー() 大阪から走ってきた少年。 「猿」関係の言葉に敏感。 祖父はステッキ爺さんのコントキャラ。 カンペー所長() 上記のカンペーとは別人。 ばか殿を暗殺するため、ばか殿に似せたロボットを作るが、撃退されて月光さる軍団に入れられた。 ミスター・カズ() スポーツ大会のサッカーで、ゴールキーパーのカンペーをボールごとネットに叩き込む。 カンペーの代理のケン太に妨害をされ、最後はサッカーボールの柄に塗ったボウリングの玉をヘディングして血を流す。 サッカーの審判() スポーツ大会で、助っ人にやってきたケン太に「ゴールを小さくするな」と叱っている。 給食のおばさん()() リエに頼まれて、ケン太が最後に助っ人する事に。 刑事() おわらい署の刑事で、ケン作の同僚。 ちなみにらしき同僚もいる。 ゲートボールをするお婆さん三人(、、) 冬場の凍った道路で女性が足を滑らせた拍子に下着を覗けたことに味を占めたケン太がわざと水をまいてみたところ、この三人が転び下着が見えてしまった。 長渕剛一() 志村小学校六年。 ツッパリクラブのボス。 大沢一郎() 志村小学校六年。 転校した生徒会長ミヤザワに代わる生徒会長選挙でケン太と争う。 最後は影で悪い事をした事が判明。 他の話でも同じ人物がモデルのキャラが出るが別人。 アーノルド・シュワッチネッガー() 軍隊グリーンベレーのリーダー。 まゆ山首相() 志村小学校に訪問。 眉毛で炎を避けたり、壁をよじ登れる。 ケン太はテロリストから首相を守ろうとしたが、ケンバーマン(のパロディ)になって学校を瓦礫にしてしまう。 おまわりさん() まゆ山首相の訪問の為にリフォームされた志村小学校を見たケン太が、志村小学校はどこかと訪ねたときに現れた。 「志村小学校はパッとサイデリアしたんですよ」と当時ののCMネタを言う。 テロリスト三人組(、、) 「日清ラーメンこってりんこ」のCMの三人がモデル。 まゆ山首相の暗殺計画を企てる。 トイレの花子さんの噂を悪用し、男子トイレの便器からアジトに出入り出来るようにしたが、噂を知らなかったトイレに入ったケン太に見つかる。 三人そろって語尾に「~リンコ」を付ける。 弁慶() 昔話・おとぎ話等を題材にした四コマに登場。 牛若丸役のケン太に倒されるが、「僕は死にましぇん!」との名台詞を言いながら生き返る。

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「志村けんのだいじょうぶだぁ」がYouTubeにて公開。収益は日本赤十字社へ全額寄付

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ほとんどの人は彼を知っていたよ。 いつも見てる。 ・海外の反応 この動画を学校で見た。 ・海外の反応 これは面白すぎる ハハハ ・海外の反応 めーっちゃいい 🙂 ・海外の反応 彼がもし私の隣に座ってたらやっつけてやるだろうね。 ・海外の反応 日本の面白い男。 ・海外の反応 飛行機の志村けんはめっちゃスケベだ。 ・海外の反応 こういう分かりやすく面白い人たち大好き。 今あまりいないからね。 ・海外の反応 きゃあ~~~。 一番最後www ・海外の反応 日本のミスタービーン。 ・ 海外の反応 ありがとう、英語字幕。 この男が大好き。 ・海外の反応 ありがとう銀魂。 俺を志村けんまで導いてきてくれて。 ・海外の反応 ほしのあきとも同じようなコントあったと思う。 ・海外の反応 ハハハハ それにしても彼女は美しい。 ・海外の反応 彼はベストだ 😁😁 ・海外の反応 彼女はとても可愛いね、オーマイガー。 ・海外の反応 めっちゃうざい 😂😂 ・海外の反応 今あの女性は裸だ!!! ・ 海外の反応 このコントの中で彼はミスタービーンみたいな瞬間があったね笑.

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さんま? 志村けん? 制作費カット指令のフジテレビが決断した「石橋貴明の次のリストラ候補」|日刊サイゾー

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これによって『8時だョ!全員集合』はますます子どもたちの喝采を受け、大人たちからは眉をしかめられていった。 ( 前編:「志村けんさん、ドリフの笑いとは何だったのか。 『8時だョ!全員集合』で考える」) 強力なライバル『ひょうきん族』現る 『8時だョ!全員集合』は、志村けんのブレイクによって70年代後半を駆け抜けた。 変化が訪れるのは、80年代に入ってからだ。 フジテレビは1981年5月から土曜夜8時に『オレたちひょうきん族』をぶつけてくる。 漫才ブームで大活躍していた東西の芸人を集めた番組だ。 これによって、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、山田邦子などが大ブレイクする。 ただ、『ひょうきん族』は最初から好調だったわけではない。 81年は『全員集合』は視聴率が30~35%を維持していたのに対し、『ひょうきん族』は10%台前半をうろうろし15%を超えることをなかった。 はじめて『全員集合』を上回ったのは、番組開始から1年5ヶ月が経過した82年10月9日のことだった。 『ひょうきん族』の特徴は、パロディと楽屋落ちをふんだんに盛り込んだことだ。 たとえば「タケちゃんマン」や「ひょうきんベストテン」はパロディであり、「ひょうきん懺悔室」はNGシーンのコーナーだ。 横澤彪プロデューサーなどスタッフも多く出演し、女性アナウンサーにアイドル的な人気が出るようになるのも、この番組からだ。 パロディを理解するには他番組の知識が必要となり、スタッフの登場もテレビ業界への理解が要求される。 それは、複雑なテレビ空間の読解のうえに成立するものであり、『全員集合』の単純なドタバタコメディとはかなり質が異なるものだ。 『ひょうきん族』について多くを語らなかった志村けんさん 志村けんは、ライバルである『ひょうきん族』について多くを語っていない。 「当時はまだビデオデッキが普及していなかったら、観ていなかった。 『全員集合』は生放送だし」と、たびたびテレビ番組で話していたと記憶する。 一方で、ビートたけしは『全員集合』についていろいろ思うところがあったようだ。 いかりや長介は、『ひょうきん族』収録中のビートたけしとばったり出会ったことがあるという。 そのときたけしに「手ェ抜いて適当にやってますから」と照れくさそうに挨拶されたという(前出『だめだこりゃ』)。 つい最近、志村けんの訃報に触れたビートたけしは、以下のように語った。 以下引用 ドリフはちゃんと創った、計算されたお笑い。 お菓子でいえば大納言とか、ちゃんとした砂糖とあずきの味なの。 『ひょうきん族』というのは、テレビの裏側まで見せる人工甘味料。 (TBS『新・情報7daysニュースキャスター』2020年4月11日) 以上引用 かなり言い得て妙だが、おそらくこれは謙遜ではない。 たけし軍団を作ったときに、志村は「何をしたいの?」とたけしに聞いたという。 すると「ドリフみたいにきちっと台本をつくってコントをしたい」と返したという(前出『変なおじさん【完全版】』)。 別ものの笑いであると認識しながらも、創り込んだコントを続ける志村への憧憬と尊敬の念をずっと抱いていたことをうかがわせるエピソードだ。 『全員集合』と『ひょうきん族』が本格的に視聴率で激しく争うようになるのは83年に入ってからだ。 この年、両者は視聴率20%前後で推移し、『ひょうきん族』が上回ることも増えていく。 この頃、20時台の前半は『全員集合』のメインコントを観て、後半は『ひょうきん族』の「タケちゃんマン」にチャンネルを替える流れもできていたという話もある。 そして84年に入ると、形勢は完全に逆転する。 ファミコン・ジャンプ・フジテレビが日本のポップカルチャーを変える 振り返ると、1983~84年は日本のポップカルチャーにとって大きな転換期だ。 ファミコンが発売され、『週刊少年ジャンプ』の部数は増え続け、そして「新人類」と「おたく(オタク)」という言葉が生まれた。 ファミコン・ジャンプ・フジテレビが、当時の男の子たちにとっての3点セットだった。 当時は、メディアの発達とともに、日本のポップカルチャーが爛熟期に突入し始めた頃だ。 ファミコンの「裏技」とテレビのNGを楽しむ感性はとても近しい。 メディアの構造自体を楽しむ、受け手の複雑な読解が成立していった。 こうして土曜の夜8時も大きく変化した。 当時、小学生だった自分はこの変化をリアルタイムに経験した。 視聴者としてその潮流を大いに左右した張本人だ。 筆者は小学2年生だった82年頃から、『ひょうきん族』を観る機会が増えていた。 学校で話題となるのも、ビートたけしや明石家さんまのことばかり。 『ひょうきん族』の新しいお笑いは、ドタバタコメディを貫く『全員集合』を一気に古臭いものに感じさせた。 そして1985年9月、『全員集合』は最終回を迎える。 その頃、視聴率は15%前後を推移していた。 われわれは、自分たちの原風景である志村けんの死に大きなショックを受けている。 と同時に、うしろめたさを抱えている。 あのとき、視聴者の多くは志村けんを見捨ててしまった。 ビートたけしの喩えを使えば、刺激的な人工甘味料の中毒になっていった。 その後、テレビ空間とギョーカイを徹底する『ひょうきん族』的な魅力は、『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 』(1985年開始)や『とんねるずのみなさんのおかげです』(1988年開始)でさらに拡張されていく。 とくに、とんねるずの存在は大きかった。 ネタはパロディと楽屋落ちばかり。 視聴者の多くは、自分がギョーカイ人のひとりとなった気分でその世界に沈溺していった。 80年代に生まれたこうしたテレビ空間は、その後も00年代いっぱいまで30年ほど延長されていくことになる。 1986年1月のことだ。 ドリフターズの人気メンバーである加藤茶と志村けんのみによる新番組だ。 メインはコントだが、人気だったのは志村が発案した「おもしろビデオコーナー」だった。 ホームビデオが普及し始めていた当時、視聴者からの投稿ビデオを紹介するコーナーだ。 いまでこそYouTubeによってこうした動画は珍しくはないが、当時は世界的にももっとも早く、その後外国のテレビ局に企画フォーマットが広く販売されていった。 』、『ねるとん紅鯨団』とテレビでは一般的なものとなっていった手法だ。 一方、ドリフターズは『全員集合』でも『ドリフ大爆笑』でも手を出さなかった。 にもかかわらず、志村けんは80年代のテレビ状況に積極的にアジャストしていった。 こうしたこともあり『ごきげんテレビ』は大ヒットする。 一方で、ビートたけしの不祥事による出演見送りなどもあり、『ひょうきん族』の人気は低迷していく。 そして1989年10月、番組に幕を下ろすこととなる。 結果的に、志村けんは『ひょうきん族』にリベンジしたことになる。 しかし、本人は周囲のそうした見方にはあまり関心がなかったようだ。 当時のことを志村はこう振り返っている。 以下引用 マスコミは騒いだけど、実際のところ僕らはあまり視聴率競争とかには関心がなかった。 同じお笑いの番組だけど、笑いのつくり方が違うだけだと思っていたから。 ドリフや僕なんかのコントは、ある程度計算していろんなところに伏線をはりながら笑いを仕掛けていくけど、『ひょうきん族』はそれと違うやり方をしていたということだ。 ただ、ドリフ本来の路線を引き継いだ『加トケン』にお客さんが帰ってきたと知って、僕らのやり方は、やっぱり間違ってなかったのだと思った。 もっとも、僕は今もってそれしかできないんだけど。 『だいじょうぶだぁ』や『バカ殿』の特番だけでなく、フジテレビでは96年から亡くなるまで深夜の30分枠でコントを続けた。 文化人や俳優の道を進むこともなく、「おもしろビデオコーナー」はやっても、終生コントだけはやめなかった。 まさに職人としての生き様だ。 志村けんは年を取らなかった。 テレビのなかで常にコメディアンとして、さまざまなキャラクターを演じ続けた。 だから、いつも当たり前のようにコントを続けていた志村が突然いなくなるなど、まるで想像できなかった。 いま感じるのは、やはりうしろめたさだ。 あのとき『ひょうきん族』に心を奪われてしまった過去だけでなく、志村の存在を自明のものとしてしまっていたことについてもだ。 ああ、志村けんが死んでしまった。 (文:松谷創一郎/編集:毛谷村真木).

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